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藤原敬生 : ミニ英和和英辞書
藤原敬生[ふじわら たかお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 

藤原敬生 : ウィキペディア日本語版
藤原敬生[ふじわら たかお]
藤原 敬生(ふじわら たかお、1958年 - 2011年8月29日)は、日本柔道家。柔道7段。
== 略歴 ==
岡山県和気郡和気町出身。和気町立和気中学校から明治大学付属中野高等学校に進学し、1976年インターハイで個人重量級準優勝。卒業後は明治大学に進む。
選手生活が山下泰裕の黄金時代とちょうど重なっていた為に大学時代にはあまり目立った成績はないが、社会人になってからは国際大会や全日本選手権、実業団大会等で目覚しく活躍した。9年間の全日本強化選手を通じて全日本選手権出場6回のキャリアを持つ。
現役当時、日本期待の大型選手で、身長192cm、体重は115から120Kgの体格であったが、山下泰裕や松井勲斉藤仁など他の重量級トップ選手と比較するとやや細いという指摘を受け、相撲の稽古やウエイトトレーニングを通じて筋肉増量に腐心した。なお、高校入学当時は70kg台の体格であった。
左組みからの払腰支釣込足小外刈などを得意にしていた。
主な戦歴としては、1983年の全日本選手権で3位(準決勝で山下泰裕に敗れる)、太平洋選手権優勝。1986年の全日本選手権準優勝。この時は順調に勝ち上がり、準決勝で優勝候補筆頭の斉藤仁を破り、優勝が確実視されたが新進気鋭の正木嘉美に決勝で敗れた。過去の対正木の戦績では圧倒的に分が良かっただけに日本武道館には暫くどよめきがおこった。1976年春の関東大会団体戦で、ポイントを取れず、明大中野高が敗退した際の勝負際の弱さ、インターハイの決勝の敗退等、しばしばプレッシャーに潰れた。
新日本製鐵に入社後は全日本実業柔道選手権で団体6連覇に貢献した。また国民体育大会にも4度優勝し、フランス国際柔道大会など数々の国際試合にも出場した。
30歳の時に右腕にできた悪性腫瘍のため引退。
引退後は明治大学柔道部の監督及び新日鉄広畑柔道部の顧問として後進の指導に励む傍ら、国際審判員として全日本選手権などで活躍した(2007年にも審判員として出場した。)。明治大学柔道部の監督としては小川直也吉田秀彦上川大樹などを指導した。
2011年8月29日、肺不全のため千葉県松戸市の病院で死去。52歳没〔時事ドットコム:藤原敬生氏死去(明大柔道部監督、新日鉄柔道部顧問) 時事通信 2011年8月30日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原敬生」の詳細全文を読む




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