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藤原 有定(ふじわら の ありさだ)は平安時代後期の貴族。式部大輔・藤原実綱の四男。 == 経歴 == 藤原真夏の流れを汲む正四位下式部大輔実綱の四男として長久4年(1043年)に生まれた。はじめ、有房といった。 はじめ、右大臣・藤原俊家の二合(年官の一つ)によって縫殿助に任ぜられる。俊家は、有定の姉妹がその子・宗俊に嫁いでいるので、義兄弟の父にあたる。3人の兄たちが皆蔵人に補せられたのに対して、有定は蔵人に補せられることなく従五位下に叙爵され、皇太子実仁親王の春宮少進に任ぜられた。 しかし、応徳2年(1085年)11月、実仁親王が15歳で夭折すると官職を失ってしまう。その後、有定は淡路守に任官。寛治8年(1094年)正月に治国が賞されて従五位上に叙せられた。同年3月、病を患って日野に参籠するが、18日に卒去した〔『中右記』寛治8年3月18日条。〕。享年52〔『尊卑分脈』は享年53とする。〕。 舅にあたる藤原宗忠と親しく、有定の死去にあたって宗忠はひどく悲しんだという〔。橘為仲とも交流があったようで、『金葉和歌集』には為仲が奥州に下る折に詠んだ歌が入集している〔勅撰和歌集への入集はこの一首のみ(『勅撰作者部類』)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原有定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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