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藤原 有貞(ふじわら の ありさだ、天長4年(827年) - 貞観15年3月26日(873年4月26日))は、平安時代前期の貴族。藤原南家、右大臣・藤原三守の七男。官位は従四位下・右近衛少将。 == 経歴 == 姉の貞子が仁明天皇の女御であったことから幼少時から天皇に近侍し、その寵幸を蒙った。承和11年(844年)若くして従五位下に叙爵、丹波介に任ぜられ遙任で務めるが、翌承和12年(845年)仁明天皇の更衣・三国町との密通を疑われ常陸権介に左遷された。 文徳朝に入ると、仁寿2年(852年)縫殿頭と再び京官に復帰し、のち斉衡3年(856年)右兵衛佐、斉衡4年(857年)左兵衛佐、天安2年(858年)従五位上・右近衛少将に叙任されるなど武官を歴任する。 清和朝でも引き続き右近衛少将を務める一方、伊勢権介・阿波権介・因幡守・讃岐権介と地方官も兼務した。また、この間の貞観6年(864年)正五位下に昇叙されている。貞観8年(866年)従四位下・備中・讃岐守に叙任されて地方官に転任し、貞観10年(868年)近江権守に任ぜられた。 貞観15年(873年)3月26日卒去。享年47。最終官位は前近江権守従四位下。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原有貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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