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藤原 朝元(ふじわら の あさもと、生年不明 - 長元4年(1031年)10月〔『尊卑分脈』師尹公流〕)は平安時代中期の貴族、歌人。小一条流で、中古三十六歌仙の一人の藤原実方の子。官位は従四位下・陸奥守。名は朝光とも表記される。 == 経歴 == 寛弘8年(1011年)6月左大臣・藤原道長によって、新帝三条天皇の六位蔵人に補される〔『権記』寛弘8年6月13日条〕〔六位蔵人の記載を欠く『蔵人補任』同月日条に朝元の名がないため六位蔵人と分かっている。〕。当時の官位は、正六位上・右兵衛尉。和泉守を務める。任中の寛仁元年(1017年)10月23日に藤原教通が長谷寺に参詣した際、通過した国々では接待を受けたが和泉国のみ接待を受けなかった。そのため、教通の従者が守の朝元を責め立てると、朝元は山寺で籠もったという〔『小右記』寛仁元年10月23日条〕。 後、従四位下・陸奥守〔まで昇り、長元4年(1031年)10月に卒去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原朝元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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