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藤原朝光 : ミニ英和和英辞書
藤原朝光[ふじわら の あさてる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

藤原朝光 : ウィキペディア日本語版
藤原朝光[ふじわら の あさてる]

藤原 朝光 (ふじわら の あさてる /あさみつ)は、平安時代中期の公卿関白太政大臣藤原兼通の四男(三男とも)。
== 経歴 ==
応和3年(963年叙爵従五位下)すると、侍従右兵衛権佐右近衛少将を経て、天禄3年(972年)には長兄の顕光に先んじて従五位上に叙せられる。同年父・兼通関白として太政官の首班に立つとその後押しを受け、天禄4年(973年正五位下左近衛中将天延2年(974年)には正月に従四位下、2月蔵人頭、4月参議と急速に昇進し、藤原忠平の曾孫の世代としてはいち早く公卿に列した。さらに翌天延3年(975年)に上位者5人を超えて従三位権中納言貞元2年(977年)には27歳で従二位権大納言左近衛大将と、引き続き順調に昇進を重ねた。
しかし、同年の父・兼通の薨去以降は昇進が停滞し、円融朝後半には藤原兼家源重信に大納言への昇進で先を越される。永観2年(984年正二位に叙せられ、同年10月に即位した花山天皇の後宮に長女・姚子女御として入内させる。姚子は入内後1ヶ月ほどは寵愛を受けるものの結局天皇とうまくいかず、入内後数ヶ月で宮中を退出して里邸に戻ってしまい、朝光は後宮対策にも失敗してしまう〔。
寛和2年(986年一条天皇の即位後まもなく大納言に任ぜられるが、永延3年(989年)天皇の外伯父にあたる権大納言・藤原道隆が朝光を追い越して一挙に内大臣に昇進すると、朝光は重病を理由に左近衛大将を辞任する(後任の左大将は道隆)。その後も同じく天皇外戚にあたる藤原道兼伊周らが次々と大臣に昇進する傍らで朝光は大納言に留まるが、一方でを通じて藤原道隆・済時と格別に親しく交わり、永祚2年(990年)以降の道隆執政下の宮廷に自由な気風をもたらしたという。長徳元年(995年)に大流行した疱瘡により、道隆・済時らと相前後して世を去った。享年45。最終官位は正二位大納言兼行按察使

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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