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藤原 清綱(ふじわら の きよつな)は、平安時代後期の武将。奥州藤原氏初代当主藤原清衡の四男。第2代当主藤原基衡の弟。樋爪氏(比爪氏、火爪氏、日詰氏)の祖。 == 概略 == 通称は亘理権十郎。当初、祖父である藤原経清と同じく亘理郡を拠点とし、中嶋舘に居城し亘理権十郎を名乗った。その後、平泉へ移った。 子俊衡の代には紫波郡日詰の 樋爪(比爪)館 に居を構え樋爪氏を名乗り樋爪俊衡と称している。樋爪氏の支配地域は現在の紫波町から矢巾町、盛岡市厨川に達したという。 清綱の子孫は「太田」、「河北」、「新田」という通称を名乗り、平泉の北に本拠を構え、奥州藤原氏一族の中でも要所を成した。また、清綱の娘である乙和子姫は佐藤基治の後妻となり、源義経の主従である佐藤継信・佐藤忠信兄弟を産んでいる。継信と忠信は後世、義経四天王に数えられている。故に兄弟は清綱の外孫にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原清綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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