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藤原為忠(ふじわら の ためただ)は、平安時代末期の官人・歌人。 大原三寂・常磐三寂の称で知られる藤原為業 (寂念)・為経 (寂超)・頼業(寂然)兄弟の父。 == 経歴 == 白河院・鳥羽院の近臣。官位こそ高くはなかったが、父は郁芳門院の乳母子、母は後三条天皇の落胤とされる藤原有佐の娘といった天皇家との関係や、三河守や丹後守を歴任したその豊かな財力をバックに隠然たる勢力を持ち、院に対しては殿舎を造進し〔『デジタル版 日本人名大辞典+Plus 』〕、歌人に対してはパトロン的な役割をも担い、数奇的生活を送った。〔川本晃生・久保田淳『長秋詠藻・俊忠集 (和歌文学大系)』明治書院、1999年 ISBN 978-4625513220 pp.222〕 藤原顕季の歌合などで活躍し〔、「金葉和歌集」に2首(4首)〔4首のうち2首は初度本にあって二度本にない。(出典:二十一代集データベース )〕入集した。 長承二年(1133年)前後に和歌史上初の結題による百題百首〔家永香織『為忠家初度百首全釈 (歌合・定数歌全釈叢書)』風間書房、2007年 ISBN 978-4759916324〕「丹後守為忠朝臣家百首」を企画、為忠・為盛・為業・為経(盛忠)父子、姻戚の藤原忠成・俊成(顕廣)兄弟、友人の源仲政・頼政父子が出詠した。保延元年(1135年)頃には2度目の百首「木工権頭為忠朝臣家百首」を企画するも、保延2年(1136年)42歳前後〔片野達郎・松野陽一『新日本古典文学大系14 千載和歌集』岩波書店、1993年 ISBN 978-4002400105 人名索引pp.15〕で死去。 「詞花和歌集」には為忠の歌は1首も入集せず三寂たちを失望させたが、「千載和歌集」「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」に各1首、「新続古今和歌集」に4首が入集している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原為忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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