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藤原 為輔(ふじわら の ためすけ)は平安時代中期の公卿。右大臣・藤原定方の孫で、左兵衛督・藤原朝頼の長男。甘露寺中納言〔『公卿補任』〕または松崎帥〔と号す。 == 経歴 == 天慶8年(945年)蔵人雑色、蔵人として朱雀天皇に仕える。天慶9年(946年)譲位後も院判官代として引き続き仕えながら、木工権助、式部少丞を歴任。天暦2年(948年)従五位下・豊前権守に叙任された。 天暦4年(950年)因幡守、天暦9年(955年)には尾張守と地方官を務め、従五位上に昇進。引き続き丹波守、山城守、大和権守と務め上げ、その功で従四位下まで昇る。康保4年(967年)左京大夫を兼任し、安和2年(969年)右中弁に任ぜられた後、左中弁、右大弁と弁官を務めた。 天延3年11月(976年1月)参議に任ぜられて公卿に列す。貞元2年(977年)正四位下に昇叙され、翌年には左大弁に進む。天元2年(979年)紀伊権守、勘解由長官、天元3年(980年)美濃権守を歴任。天元4年(981年)治部卿に遷り、永観2年(984年)正三位に叙されている。永観3年(985年)には播磨権守に任ぜられた。 寛和2年(986年)権中納言、大宰権帥に任ぜられるが、同年8月26日に薨去した。享年67。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原為輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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