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藤原田麻呂 : ミニ英和和英辞書
藤原田麻呂[ふじわら の たまろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [あさ]
 【名詞】 1. flax 2. linen 3. hemp 
麻呂 : [まろ]
 【名詞】 1. (1) (arch) you 2. (2) (person having) thin or shaved eyebrows

藤原田麻呂 : ウィキペディア日本語版
藤原田麻呂[ふじわら の たまろ]
藤原 田麻呂(ふじわら の たまろ、養老6年(722年) - 延暦2年3月19日783年4月25日))は、奈良時代公卿藤原式家の祖である参議藤原宇合の五男〔『続日本紀』延暦2年3月19日条〕。母は小治田功麿男牛養女。官位従二位右大臣〔〔『公卿補任』では左大臣とする。〕、正二位。号は蜷淵大臣
== 経歴 ==
天平12年(740年)長兄が起こした藤原広嗣の乱連座して隠岐国配流。天平14年(742年)罪を赦されて帰京するが、政治とは関わることなく、蜷淵(現在の奈良県高市郡明日香村稲淵)の山中に隠棲する。仏教への信仰心が厚く、修行に努めた〔。
天平宝字5年(761年従五位下次いで従五位上・南海道節度副使に叙任〔『続日本紀』天平宝字5年11月17日条。『公卿補任』では西海道節度使とする。〕され、天平宝字7年(763年美濃守次いで陸奥出羽按察使藤原仲麻呂政権下では主に地方官を務める。また、この間の天平宝字6年(762年石上宅嗣に替わって遣唐副使に任ぜられているが、結局渡海は中止となっている。
天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱ののち、称徳朝において右中弁外衛中/大将大宰大弐兵部卿と要職を歴任。天平神護2年(766年)には従四位上参議に叙任され、公卿に列した。
その後、称徳天皇崩御に伴う天智系の光仁天皇即位道鏡の失脚(宝亀元年(770年))や、皇太子他戸親王の廃太子事件(宝亀6年(775年))が発生するも、政争に巻き込まれることもなく、光仁朝末の宝亀11年(780年)に正三位中納言桓武天皇が即位した翌天応元年(781年)には、右大臣大中臣清麻呂大納言・石上宅嗣の死去に伴い、大納言近衛大将へと、順調に昇進する。
天応2年(782年左大臣藤原魚名の失脚に伴い、従二位右大臣として太政官の首班に立つが、翌延暦2年(783年)3月19日薨去享年62。最終官位は右大臣従二位兼近衛大将皇太子傳

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原田麻呂」の詳細全文を読む




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