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藤原 登朝(ふじわら の なりあさ)は平安時代中期の貴族。大納言・藤原朝光の次男。官位は従四位上・左馬頭。 == 経歴 == 大納言・藤原朝光の次男として誕生。関白太政大臣・兼通は祖父にあたる。永観2年(984年)父の譲りで従五位下に叙爵〔『公卿補任』永観2年条。〕。永祚2年(990年)10月、左近衛少将在任時に禁色を聴される〔『小右記』永祚2年10月27日条。〕。永延2年(988年)には東宮昇殿を聴された〔『小右記』永延2年8月19日条。〕。 左兵衛佐を経て、正暦3年(992年)に一条天皇の五位蔵人に補任されるが、翌正暦4年(993年)に病となり職務に耐えられなくなったため、正暦5年(994年)に辞退している〔『蔵人補任』一條院。〕。後に従四位下・右馬頭(または左馬頭〔『尊卑分脈』。〕)に至るが、生没年はわかっていない。『大鏡』によると出家してはやくに死去したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原登朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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