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プロフェッショナルレスリング藤原組(プロフェッショナルレスリングふじわらぐみ)は、日本のプロレス団体。 == 概要 == 選手会主体で再発足した新生UWFであったが、クーデター騒動や選手、会社間の不和などが原因で崩壊。その中でも、エースの前田日明に距離を置いていた選手が中心に集まった。どこの派閥にも属していなかった藤原喜明がその若手達を活かせてやりたいと代表となる事を決意する〔当初は騒動を機にプロレスから身を引こうかとも考えていたと藤原は後日に語っている。〕。 1991年3月4日、旗揚げ戦を開催。設立当初の団体名は「新UWF藤原組(しん・ユー・ダブリュー・エフ・ふじわらぐみ)」と称し、その後、団体名を「プロフェッショナルレスリング藤原組(プロフェッショナルレスリングふじわらぐみ)」に改称。 メガネスーパーがメインスポンサーとなり、団体創設当初は、メガネスーパーの田中八郎会長が社長を務めていたSWSとの合同興行も行われたが、試合としてかみ合わず、のち行われなくなる。1992年10月4日には東京ドーム大会を開催している。 その後、より格闘技的な路線を志向する船木誠勝、鈴木みのるらと、藤原との溝は深まり、1992年12月に船木、鈴木、冨宅祐輔、高橋和生、柳澤龍志、練習生の国奥道明、稲垣一成が退団してパンクラスを設立〔格闘技通信 1993年2月23日号 4-7頁〕。所属選手が藤原と石川雄規の2人になってしまう危機に見舞われるが、逆に2人きりという状況がファンの支持を受け、団体崩壊の危機を乗り越えた。 以降、従来のUWF色を薄めつつ、純プロレスに接近する路線へ転換。藤原も、石川らと組んで新日本プロレスへ参戦したりしている。その後、新人選手も次々とデビューし、苦しいながらも団体を存続させていたが、1995年に当時のスポンサーが、一部の選手を除き大幅なリストラを提言し、それに反発した石川雄規を始め、藤原以外の選手が退団して格闘探偵団バトラーツを設立。それにより藤原組はプロレス団体としては機能しなくなり、以降は藤原の個人事務所「藤原組(ふじわらぐみ)」になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原組」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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