|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 経 : [けい, たていと] (n) (weaving) warp
藤原 経忠(ふじわら の つねただ、經忠)は平安時代後期の公卿。播磨守・藤原師信の子。官位は従二位・中納言。 == 経歴 == 応徳3年(1086年)従五位下に叙爵。越前権守、左兵衛佐、周防守を歴任し、寛治4年(1090年)正五位下に陞叙。 寛治7年(1093年)従四位下に叙される。嘉保3年(1096年)従四位上に昇り、永長2年(1097年)兵部大輔に任ぜられる。承徳2年(1098年)正四位下・安芸守に叙任され、康和5年(1103年)宗仁親王(後の鳥羽天皇)の立太子に伴い、東宮昇殿を許される。なお、この間の康和4年(1102年)9月に、火災によって経忠の邸宅が焼亡している〔『殿暦』康和4年9月12日条〕。嘉承2年(1107年)堀河天皇が崩御し、宗仁が即位して鳥羽天皇となると、引き続き昇殿を許される。同年、馬1匹を奉献するための使者として派遣される〔『殿暦』嘉承2年3月29日条〕。嘉承3年(1108年)邸宅に落雷があり、侍者一人が死亡した〔『殿暦』嘉承3年3月25日条〕。天仁3年(1110年)右馬頭、天永2年(1111年)皇太后亮、天永4年(1113年)但馬介を歴任した。 近江守を経て、保安5年(1124年)従三位・左京大夫に叙任され公卿に列す。大宰大弐を経て、長承2年(1133年)参議に任ぜられる。長承3年(1134年)大蔵卿を兼任。正三位・備前権守に叙任され、保延2年(1136年)権中納言、同年中には中納言に転じるなど急速に昇進。 太皇太后宮権大夫を経て、保延4年(1138年)従二位に至る。同年病のため出家し、同年中に薨去。享年64。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原経忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|