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藤原 義忠(ふじわら の のりただ、寛弘元年(1004年) - 長久2年10月1日(1041年10月28日))は、平安時代中期の廷臣・歌人・儒学者。藤原式家、大和守藤原為文の子。権左中弁、正四位下、大和守。 == 経歴 == 東宮学士、大学頭、大和守を歴任。儒学者として侍読の任に当たる一方、和歌にも秀で多くの歌合せに出詠者・判者として参加。万寿2年(1025年)に「義忠家歌合」を主催。長元6年(1033年)には関白藤原頼通が自邸で催した子の日の宴にて、和歌序を作成して禄として御衣を賜る〔『続古事談』巻第二・一。〕。長久2年、「弘徽殿女御十番歌合」では判者を務めた。後一条・後朱雀両帝の大嘗会和歌作者。詩は『本朝続文粋』、歌は『後拾遺和歌集』などに残る。 長久2年、吉野川で船遊びの際、船が転覆する事故に遭って水死〔『扶桑略記』、『弁官補任』など。〕。死後、侍読の労を顕彰され、参議、従三位を追贈された。 同じく歌人として知られる大和宣旨が、藤原道雅と離別後、義忠の妻となっていたことでも知られる(同人の女房名は義忠が大和守であったことに因む)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原義忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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