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藤原 脩範(ふじわら の ながのり、康治2年(1143年) - 没年不詳)は、平安時代後期の公家。初名は脩憲。藤原南家、少納言・藤原通憲(信西)の五男。官位は正三位・参議。 == 経歴 == 保元元年(1156年)保元の乱後に六位蔵人に任ぜられ、まもなく従五位下に叙爵。乱後に父・信西が権力を握ったことから、脩憲も急速に昇進し、保元2年(1157年)従五位上・左兵衛佐、保元3年(1158年)正五位下、保元4年(1159年)左近衛少将に叙任される。しかし、同年12月に発生した平治の乱に連座し、解官の上で隠岐国への流罪となった。 翌永暦元年(1160年)平安京に召し返されて本位に復し、左近衛少将に還任される。またこの時、名を脩憲から脩範に改めている。その後は後白河上皇の近臣を務める傍ら、永暦2年(1161年)従四位下、長寛2年(1164年)従四位上、仁安2年(1167年)正四位下と累進し、承安4年(1174年)従三位に叙せられて公卿に列した。その後左京大夫を務め、寿永2年(1183年)正三位・参議に至るが、同年11月に醍醐寺で出家。兄の勝賢に従って真言宗を学んだ〔『尊卑分脈』〕。 和歌に優れ、「別雷社歌合」などの作者であり、勅撰歌人として『千載和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に5首が入集している〔『勅撰作者部類』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原脩範」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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