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藤原 是人(ふじわら の これひと、8世紀 - 没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は許人麿とも記される〔『尊卑分脈』〕。藤原南家、参議・藤原乙麻呂の子。官位は正五位下・右少弁〔。 == 経歴 == 宝亀元年(770年)称徳天皇の崩御後、白壁王(のち光仁天皇)が皇太子に冊立されてまもなく従五位下に叙爵され、翌宝亀2年(771年)大学助に任ぜられる。のち、光仁朝では図書頭・肥後守を歴任し、この間の宝亀9年(778年)には、秋の豊穣を祈願するために、参議・藤原是公とともに廣瀬大社・龍田大社に派遣され奉幣を行っている〔『続日本紀』宝亀9年6月26日条〕。 桓武朝では、大判事・中務少輔を歴任し、延暦4年(785年)8月に従五位上に昇叙されるが、同年9月に藤原種継暗殺事件が発生すると、10月に長門守に任ぜられ地方官に転じる。延暦9年(790年)治部大輔として京官に復帰すると、延暦10年(791年)右少弁に転じている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原是人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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