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藤原 資仲(ふじわら の すけなか)は平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人、漢詩人。大納言・藤原資平の二男。 == 経歴 == 長元6年(1033年)従五位下・讃岐権守に叙任。長元9年(1036年)侍従・右近衛少将に任ぜられ、長元10年(1037年)従五位上・備中権介に叙任。 長暦4年(1040年)正五位下・右少弁に叙任される。長久2年12月(1042年1月)には左少弁に転じ、長久5年(1044年)後朱雀天皇の五位蔵人に補任される。永承2年(1047年)には後冷泉天皇の五位蔵人に補され、造興福寺長官に任官。永承3年(1048年)従四位下に叙せられ、右中弁に任ぜられた。永承4年(1049年)従四位上に昇叙。 永承5年(1050年)権左中弁に転任。永承6年(1051年)播磨介、永承7年(1052年)春宮権亮を兼ね、天喜5年(1057年)正四位下・近江権介に叙任される。天喜6年(1058年)左中弁に転じ、康平3年(1060年)美作権介を兼ねた。康平5年(1062年)修理大夫。 治暦4年(1068年)蔵人頭に補任される。同年参議に任ぜられ、治暦5年(1069年)には従三位・右兵衛督に叙任。検非違使別当となり、正三位に昇叙。延久2年(1070年)には播磨権守を兼ね、従二位に叙せられた。 延久4年(1072年)左兵衛督・春宮権大夫を兼帯し、権中納言に任ぜられる。延久5年(1073年)正二位・右衛門督に叙任され、承保2年(1075年)左衛門督に転じた。承暦4年(1080年)大宰権帥に転任。応徳元年(1084年)に出家し、帥入道と呼ばれた。寛治元年(1087年)67歳で薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原資仲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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