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藤原 通房(ふじわら の みちふさ)は、平安時代中期の公卿。関白藤原頼通の長男。 == 生涯 == 頼通の庶長子として生まれるが、頼通の正室隆姫女王は男子に恵まれなかったため、嫡男とされた。また、頼通の正室への配慮と摂関家を継ぐという重要性から、摂関家の事実上の長である祖父道長の土御門殿で養育される。後に隆姫の弟である源師房の娘を正室に迎えて、正室・隆姫と嫡男・通房との間に血縁関係を成立させる事になる。 長元8年(1035年)7月13日に元服すると、直ちに正五位下に叙せられ、10月16日に侍従に任じられる。11月19日に左少将に任じられ、翌長元9年(1036年)正月7日に従四位下、7月10日に従四位上、11月16日に正四位下と昇叙し、12月8日に右中将に転じる。長暦元年(1037年)10月23日にはわずか13歳で従三位に叙され三位中将となった。長暦2年(1038年)6月19日に正三位、8月26日に従二位に昇叙し、長暦3年(1039年)1月29日には15歳の若さで権中納言に任じられた。同年閏12月26日に正二位に昇叙し、長久3年(1042年)10月27日には権大納言に昇進し、長久4年(1043年)11月27日には右大将を兼ねたが、翌長久5年(1044年)4月27日に突然の病により20歳の若さで薨去してしまった。このため、他家に養子に出される予定であった異母弟の師実が後継者として摂関家を継承する事になった。 通房の詠んだ和歌が『後拾遺和歌集』『新勅撰和歌集』に1首ずつ入集している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原通房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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