|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
藤原 道雄(ふじわら の みちお、宝亀2年(771年) - 弘仁14年9月23日(823年10月30日))は、平安時代前期の公卿。藤原北家、藤原小黒麻呂の四男。官位は従四位上・参議。 == 経歴 == 内舎人・大学允を経て、延暦15年(796年)従五位下に叙せられる。のち桓武朝では、兵部少輔・大学頭・散位頭・宮内大輔・刑部卿・内匠頭を歴任するとともに、武蔵介・阿波守・河内守・上総守・但馬守と地方官を歴任し、この間延暦19年(800年)には従五位上に昇叙されている。 平城朝では、美作守・大学頭・治部大輔を歴任し、大同3年(808年)正五位下に叙せられた。 嵯峨朝に入ると、弘仁元年(810年)右中弁次いで左中弁と要職の弁官に任ぜられるが、翌弘仁2年(811年)には紀伊守として地方官に転ずる。こののち再び、典薬頭・宮内大輔・大学頭・兵部大輔・大舎人頭と京官を歴任し、この間の弘仁10年(819年)には従四位下に叙せられている。嵯峨朝末からは再び重用され、弘仁12年(821年)右大弁、弘仁13年(822年)蔵人頭に任官、弘仁14年(823年)正月に従四位上に昇叙ののち、5月には淳和天皇の即位に伴って参議に任ぜられ公卿に列した。同年9月23日卒去。享年53。最終官位は参議従四位上宮内卿。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原道雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|