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藤原 量子(ふじわら の かずこ、応安2年/正平24年(1369年) - 応永13年5月15日(1406年6月1日)は、室町時代前期の女性。室町幕府第3代将軍・足利義満の側室。同第4代将軍・足利義持と同第6代将軍・足利義教らの叔母〔 臼井信義 著『人物叢書‐足利義満』吉川弘文館、1989年、p.239〕。 == 生涯 == 父は三宝院の安芸判眼で、義持や義教の生母である藤原慶子の妹に当たる〔。応永13年(1406年)5月、足利義満と共に唐船を見るために兵庫に向かったが、5月15日に播磨室(現在の兵庫県揖保郡)で死去した。享年38。法号は円照院勝林浄殊禅定尼〔。義満は量子の死に思うところがあったためか、五旬の精進をなし、慶子・量子姉妹のために美濃座倉郷を等持院に寄進した。また量子には従三位が贈られた〔。 義満との間には1男1女が生まれている。ただ男子に関しては『迎陽記』では応永5年(1398年)の時点で5歳(満4歳)であったとされており、義満の男子で応永元年(1394年)生まれの男子は義教と義嗣であるが、彼らはいずれも生母は量子と違うため、誰の事を差すのか不明である〔 臼井信義 著『人物叢書‐足利義満』吉川弘文館、1989年、p.240〕。女児(大慈院聖紹か?)に関しては応永3年(1396年)に生まれ、大慈院に入ったとされ、享徳2年7月26日(1453年8月30日)に58歳で死去したとされる(『康富記』)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原量子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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