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藤原 長能(ふじわら の ながとう / ながよし、天暦3年(949年) - 寛弘6年(1009年)頃?)は、平安時代中期の歌人・貴族。藤原北家長良流、伊勢守・藤原倫寧の子。官位は従五位上・伊賀守。中古三十六歌仙の一人。 == 経歴 == 天延3年(975年)一条中納言為光家歌合に出詠。近衛将監を経て、永観2年(984年)花山天皇の即位に伴い六位蔵人に任ぜられる。花山院歌壇で活躍し、寛和元年(985年)と翌寛和2年(986年)に開催された内裏歌合に出詠。花山天皇譲位に前後して従五位下に叙爵して蔵人を退いたか。 一条朝の永延2年(988年)図書頭、正暦2年(991年)上総介を歴任。上総介を解任された後は散位となったが〔『権記』寛弘4年2月28日条〕、藤原道長の春日詣〔・賀茂詣〔『御堂関白記』寛弘5年4月18日条〕などに陪従している。寛弘2年(1005年)治国の功労により従五位上に至る。寛弘6年(1009年)正月に伊賀守に任ぜられるが、間もなく辞任したらしく、4月には源為憲が後任の伊賀守に任ぜられている。あるいはこの時に没したか。 勅撰和歌集『拾遺和歌集』の撰定に関与したと考えられている。勅撰歌人として『拾遺和歌集』(7首)以下の勅撰和歌集に52首が入集〔『勅撰作者部類』〕。門弟である能因法師が撰した『玄々集』には最も多い10首が入集している。家集に『長能集』がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原長能」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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