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藤原 隆長(ふじわら の たかなが、永治元年(1141年) - 没年未詳)は、平安時代末期の廷臣。左大臣藤原頼長の三男。母は源師俊の娘で、同母兄弟に兼長、範長がいる。幼名は今麿。 == 生涯 == 久安5年(1149年)に右兵衛佐、仁平元年(1151年)に侍従、同2年(1152年)に左近衛権中将、同3年(1153年)に正四位下となる。仁平2年、鳥羽法皇の五十歳の御賀に当たり、藤原実定とともに青海波を舞ったが、その様子を見物した祖父の忠実から舞の未熟さを見咎められ、師匠である狛光行と交替させられた逸話が『古事談』に見える(隆長に代わった光行の舞も隆長のそれと大差なく、舞の正しい伝承が行われていないことを知った忠実が、自ら光行に指導したとある)。 保元元年(1156年)の保元の乱において父の頼長が敗死すると、兄弟達とともに一旦宇治の忠実のもとに身を寄せるが、ほどなく朝命によって伊豆国へ配流された。詳細な年代は不明ながら、その後は都に帰還することなく配所で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原隆長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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