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藤原 賴任(ふじわら の よりとう、生年不明 - 長元3年(1030年)7月)は、平安時代中期の貴族。藤原北家魚名流、山城守・藤原時明の子。初名は公信。官位は従四位上・右中弁。 == 経歴 == 寛弘年間(1004年-1012年)に文章生を経て六位蔵人・内記を務める〔『御堂関白記』〕。この間の長和2年(1013年)当時、位階は従五位上にあり、この頃に右衛門権佐を務めている。 寛仁3年(1019年)に丹波守として任地に赴任するが〔『小右記』寛仁3年7月11日条〕、この年に丹波国の百姓らが頼任を訴える。これに対して頼任は百姓らを捕らえたことから、百姓らは頼任の善状を出すが、不問とされる。次いで治安元年(1021年)には美濃守に任ぜられて、万寿2年(1025年)まで務め上げ、同年12月美濃守としての治国の功労により加階を申請されている〔『小右記』万寿2年12月19日条〕。長元2年(1029年)正月24日に右中弁に任ぜられている。その他、左衛門尉・右衛門佐などを歴任した。長元3年(1030年)7月卒去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原頼任」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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