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広橋 頼資(ひろはし よりすけ)は、鎌倉時代前期の公卿。権中納言藤原兼光の五男。民部卿藤原光範の後を継いだとされる。広橋家の祖。四辻・勘解由小路とも称する。 儒学に明るく、近衛家に近い立場を取った。元仁元年12月17日(1225年1月27日)に参議に任ぜられ、翌年に権中納言に昇る。嘉禎元年11月7日(1235年12月18日)に出家して翌年に薨去した。熊野信仰に厚く、承元4年(1210年)・建保4年(1216年)・寛喜元年(1229年)の参詣などは日記『頼資卿記』に詳細に残されているほか、公私合わせて20回以上の熊野参詣が知られている。 == 系譜 == *父:藤原兼光 *母:院慶の娘 *妻:源兼資の娘 *長男:勘解由小路経光(1213-1274) *男子:広橋信光 *妻:不詳(生母不明) *男子:世尊寺経朝(1215-1276) - 世尊寺行能の養子。 *男子:頼誉(?-1280) *男子:頼源 *男子:兼恵(?-?) *男子:頼尊 *女子:皇后宮内侍 *養子:頼円(?-?) *養子:頼舜 - 実は頼全の子。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広橋頼資」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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