|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 黒 : [くろ] 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark ・ 麻 : [あさ] 【名詞】 1. flax 2. linen 3. hemp ・ 麻呂 : [まろ] 【名詞】 1. (1) (arch) you 2. (2) (person having) thin or shaved eyebrows
藤原 黒麻呂(ふじわら の くろまろ、生年不詳 - 大同5年6月10日(810年7月14日))は、奈良時代末期から平安時代初期の貴族。藤原南家、参議・藤原巨勢麻呂の次男。官位は従四位下・因幡守。 == 経歴 == 近江国に生まれる。宝亀5年(774年)正月に正六位下から三階昇叙され従五位下に叙爵し、上総介に任ぜられ現地に赴任。近辺の原野を開墾して牧野とし藻原荘として成立させた〔『朝野群載』〕。この藻原荘が現在の千葉県茂原市の起源とされる。宝亀8年(777年)上総守に昇進する。宝亀9年(778年)従五位上に叙せられると、宝亀11年(780年)治部大輔に任ぜられる。 桓武朝に入ると、延暦元年(782年)右中弁に任ぜられるが、延暦3年(784年)には遠江守として地方官に転ずる。延暦8年(789年)刑部大輔次いで治部大輔と再び京官に復すが、翌延暦9年(790年)駿河守に転じた。またこの頃、皇太后・高野新笠および皇后・藤原乙牟漏が崩御した際に御葬司を務めている。 のち、桓武朝末に正五位下、平城朝末には従四位下にまで昇進するとともに、周防守・因幡守と地方官を歴任している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原黒麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|