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藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)。旧姓、阿部(あべ)。 岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な楽曲(『怨歌〔五木寛之による造語。 朝日新聞デジタル:「藤圭子の衝撃、まちがいなく怨歌」五木寛之さん - カルチャー 〕』)を、独特のドスの効いたハスキーボイスで伸びやかかつ深々と歌い上げ、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。代表曲は「圭子の夢は夜ひらく」。 別居中だった夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家の宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の前川清。 == 来歴 == 幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)〔の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念〔。17歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。約1年間、初代林家三平宅に下宿する〔海老名香葉子さん、藤圭子さんの思い出語る 日テレNEWS24 2013年8月23日午後10時7分 〕。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。 以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈とはまた異なる魅力を持った、ドスの効いたその声は、可憐な風貌とのギャップも相俟って当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてより歌に幅がなくなったことを悔やみ、引退を考え始める。最愛の母を父のDVから守るために離婚させ、それを契機に引退を発表。 1979年に1度引退したが、RCAレコードからCBSソニーに移籍。1981年に第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。 歌手を引退した後は、夫の宇多田照實が代表取締役を務める有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記され続けた。なお、ユースリー・ミュージックは娘で歌手の宇多田ヒカルが所属する事務所である。 2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書など見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定された〔本人の遺志で…藤圭子さん葬儀行わず親族のみで荼毘に スポニチ 2013年8月24日〕。喪主の宇多田ヒカル側は「遺言書がある」と主張して葬儀は行わず、宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となった〔藤圭子さんの遺言書あった…宇多田が明かす「母らしい遺言書」 スポニチ 2013年9月5日〕。 また藤の実家の阿部家側によって、後日ファン有志とともに「しのぶ会」が挙行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤圭子」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Keiko Fuji 」があります。 スポンサード リンク
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