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蜂須賀 量子(はちすか かずこ、天保3年(1832年) - 明治40年(1907年))は、伊勢津藩第12代藩主・藤堂高潔の正室。父は阿波徳島藩第11代藩主・蜂須賀治昭の三男・蜂須賀昭順。養父は伯父で徳島藩第12代藩主・蜂須賀斉昌。養母は関白・鷹司政熙の娘・鷹司并子。義兄は蜂須賀斉裕。 == 生涯 == 天保3年(1832年)、阿波徳島藩第11代藩主・蜂須賀治昭の三男・蜂須賀昭順の娘として生まれる。後に伯父である第12代藩主・蜂須賀斉昌の養女となり、伊勢津藩第12代藩主・藤堂高潔の正室に嫁ぐ。 明治13年(1880年)、高潔との間に長女・鉄子(子爵・高倉永則室)を出産。明治15年(1882年)、次女・鋀子(常磐井尭猷室、子爵・牧野忠篤室)を出産。そして、明治17年(1884年)には長男・高紹を出産する。 明治22年(1889年) 、夫・高潔が死去。明治40年(1907年)、没する。 墓所は東京都豊島区にある染井霊園。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蜂須賀量子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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