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藤堂高敦 : ミニ英和和英辞書
藤堂高敦[ふじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

藤堂高敦 ( リダイレクト:藤堂高嶷 ) : ウィキペディア日本語版
藤堂高嶷[とうどう たかさと]

藤堂 高嶷(とうどう たかさと/たかさど)は、伊勢津藩の第9代藩主。元は久居藩の第7代藩主。藤堂家宗家9代、久居藩藤堂家7代。久居陣屋の主。
==生涯==
延享3年(1746年)生まれ。幼名は初次郎。本家の津藩では嗣子が絶えることが多く、久居藩主が津藩主に転任することも少なくなかったが、この人物もはじめは久居藩主であり、高敦と名乗っていた。しかし明和7年(1770年)に本家を継いでいた弟・高悠が死去したため、高嶷と改名して本家を継ぐこととなった。久居藩主は弟の高朶が継いだ。
久居から津への藩主の転任が度重なったことで、当時の津藩は藩政が不安定化し、財政も窮乏化していた。このため高嶷は財政再建を主とした藩政改革を行なうこととなる。借金棒引きを主とした金融政策、殖産興業政策、土地制度改革などがそれであった。ところが、土地制度改革では均田制を導入しようとしたが、多くの土地を所有していた地主たちが猛反対し、寛政8年(1796年)に安濃津地割騒動と呼ばれる3万人規模の領民一揆が発生して失敗した。金融政策においても借金を強権的に棒引きにしようとした上、寺社修復のために領民が積み立てていた「祠堂金」を藩財政再建に使おうとしたため、領民や寺社勢力が高嶷に対して「神仏の敵」と非難するほどであった。このため高嶷の藩政改革は失敗に終わった。
長男・高崧は早世していたため、文化3年(1806年)8月26日に高嶷が死去した後、家督は次男の高兌が継いだ。そしてこの高兌によって改革は推し進められていくことになった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤堂高嶷」の詳細全文を読む




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