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藤子 不二雄(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 素雄(あびこ もとお)、1934年3月10日 - )は、日本の漫画家。大垣女子短期大学客員教授。座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。 藤本弘(藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄としてコンビを組み、作品を発表した。 == 経歴 == 曹洞宗49代目住職の息子として、富山県氷見郡氷見町(現:氷見市)の光禅寺という古刹に生まれるが、1944年に父を亡くして高岡市に転居し、転入先の高岡市立定塚国民学校(現・定塚小学校)で藤本弘と知り合う。小学校時代から漫画家を志し、富山県立高岡高等学校在学中、1951年に毎日小学生新聞でデビュー。 高校卒業後、1952年に、伯父が専務を務める富山新聞社に入り、学芸部と社会部で似顔絵やインタビュー記事を担当。1954年、藤本に誘われる形で新聞社を退社。藤本と共に漫画家となるために上京する。後がない藤本と違って(藤本は製菓会社をすぐに退社した〔〔安孫子は「1日で」と語っているが、正確には入社2日目に工場で手を怪我し、漫画を描けなくなることを恐れて退社した。2006年2月19日放映「ドラえもん誕生物語~藤子・F・不二雄からの手紙~」、テレビ朝日系列〕)、安定したサラリーマン生活がある安孫子は新聞社に未練があったと語っており、会社に好意を抱いていた後輩社員がいたのもその理由である。この藤本の誘いを母に相談しており、母の言われた通りにしようと思っていたが、予想外に「好きにしなさい」と言われ、悩んだ挙句に夢の道に進むことを選んだ〔。退社の件を、当時社長になっていた伯父に話すと激怒されたという。 その後、『オバケのQ太郎』、『忍者ハットリくん』、『魔太郎がくる!!』などのヒット作にめぐまれる。厳密には2人の合作によるヒット作は『オバケのQ太郎』が最後であり、これ以降は藤子不二雄名ではあっても、そのほとんどはどちらかの単独作品である。1987年にコンビを解消し、藤子不二雄として活動するようになる。コンビ解消後は映画『少年時代』をプロデュースするなど多彩な才能を見せる。詳しくは藤子不二雄の略歴を参照。 文章にも優れ、『二人で少年漫画ばかり描いてきた』などエッセイに才能を発揮している。これらはコンビ時代から安孫子の執筆であることを明記してあるものが多い。 2015年、ジャンプスクエアの連載『PARマンの情熱的な日々』を12月号をもって休載することを発表。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤子不二雄A」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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