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藤尾 録郎(ふじお ろくろう、1855年(安政2年)10月 - 1910年(明治43年)8月24日)は、明治期の官吏。日本銀行副支配人から住友財閥に聘され、住友本店監査課主任として本支店の一切の会計組織を改良し、三菱財閥に先駆けて帳簿を複式簿記に改めた。 号は雲泉。 ==経歴== 津藩の支藩である、久居藩士として伊勢国に生まれる。1870年(明治3年)に慶應義塾に入学して会計学を学ぶ。 * 1872年 - 小石川簡相義塾教師。 * 1874年 - 紙幣寮銀行学局入局、紙幣寮御用掛。 * 1876年 - 紙幣寮銀行課翻訳掛助手 * 1877年 - 大蔵省銀行課附属銀行学伝習所教師。大蔵省三等属。 * 1879年 - 私塾・簿記学伝習所を経営。 * 1882年 - 大蔵省銀行局附属銀行事務講習所所長(心得)。 * 講習所が文部省に移管され、高等商業学校(現・一橋大学)附属銀行専修科となり、同校教授となる。 * 1893年 - 日本銀行入行。 * 調査局副支配人から計算課長、局長心得、理事等を歴任。日本銀行内部の対立から、河上謹一(理事)、志立鉄次郎(西部支店長)、植村俊平(文書局長)と共に辞職。 * 1899年 - 住友本店監査課主任として住友財閥に入る。 * 監査、会計、地所、文書、土木の五課から成る住友本店の重役に就任。伊庭貞剛と共に住友家の改革に尽力。 墓所は谷中霊園。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤尾録郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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