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藤山竜仁 : ミニ英和和英辞書
藤山竜仁[ふじやま りゅうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 
: [にん, じん]
 (n) kernel

藤山竜仁 : ウィキペディア日本語版
藤山竜仁[ふじやま りゅうじ]

藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町FC東京・藤山が退団セレモニー 来季はJ2札幌へ 47NEWS (2009年11月28日)〕(現 鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)
== 来歴 ==
小学校3年生のときに兄の影響でサッカーを始める〔スポーツ情報 コンサドーレ札幌 藤山竜仁選手 財界さっぽろ (2010年6月号)〕。1989年鹿児島実業高へ進学。1990年度の全国高校選手権で準優勝。在学中、鹿児島県選抜として3年連続で国体に出場した。この頃学んだスライディングに頼らずにボールを奪う守備が後々ディフェンダーとして活かされることになった。同期に前園真聖仁田尾博幸
1992年に高校を卒業し東京ガスに入社。ジャパンフットボールリーグ所属の同社サッカー部1999年よりFC東京)に加入した。午前にガスメーターの検針を担当し、午後に練習をこなすという社員選手として活動を続けていたが、1994年からはJリーグ参画に向けて体制作りを進めるチームの方針に沿ってプロ契約を締結。東京ガスにとっては初の日本人選手とのプロ契約だった。この頃まではMF(サイドハーフやボランチ)としてプレーを続けていたが、1995年の中断期間中、守備の安定を図る大熊清監督によってDF(左サイドバック)にコンバートされた。この起用法が奏功し、チームの成績は向上。藤山自身も1997年及び1998年のリーグベストイレブンに選出された。
1999年には同年発足のJ2(Jリーグ2部)で準優勝。大熊からの信頼は依然厚く、2000年はチーム加入9年目にしてトップカテゴリーのJ1(Jリーグ1部)でレギュラーとして出場を続けた。藤山はJ1の舞台でスピード溢れるドリブル突破〔 FC東京〕やオーバーラップからのシュートを見せたいと意気込んでいたが、大熊の考えはJ1の相手に対しては藤山の守備での瞬発力が欠かせないというものであり、変則3バックの左ストッパーに配されるなど〔 藤山竜仁公式ウェブサイト (2000年12月28日)〕守備に重きを置くプレーを求められ、持ち味の攻撃参加は影を潜めた。
2001年末、古傷の右足首を手術〔 FC東京 (2001年12月3日)〕。この影響から2002年は開幕戦に間に合わず〔選手出場記録 Jリーグ (2002年8月17日)〕、原博実新監督の就任もあって左サイドバックの定位置を確保しきれなかったが、欠場選手の穴埋め役として〔 藤山竜仁公式ウェブサイト (2002年10月18日)〕センターバックや右サイドバックなどでも起用され、プレーの幅を広げた。2003年からは金沢浄の加入によってセンターバックに回る機会がさらに増したが、「センターバックでもプレーすることで選手寿命が延びた」と前向きに受け入れ、鋭い読みと対人の強さを発揮〔 東京中日スポーツ (2004年3月17日)〕。原からも「守備のスーパーサブ。どこでもやれるありがたい選手」と信頼を寄せられ〔 東京中日スポーツ (2004年9月13日)〕、ベンチ入りメンバーには常に名を連ねた〔選手出場記録 Jリーグ (2003年8月2日)〕〔選手出場記録 Jリーグ (2003年11月29日)〕〔選手出場記録 Jリーグ (2004年6月26日)〕〔選手出場記録 Jリーグ (2004年11月28日)〕。
2004年のナビスコカップ決勝では、退場処分を受けたDFジャーンの穴を埋めるべく前半33分からピッチに入り、浦和FW陣を完封。得意のインターセプトによるパスカットも冴え〔【ヤマザキナビスコカップ:決勝】F東京 vs 浦和:試合終了後のF東京選手(今野、加地、藤山)コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2004年11月3日)〕〔 藤山竜仁公式ウェブサイト (2004年11月11日)〕クラブの初タイトル獲得に大きく貢献した〔 東京中日スポーツ (2004年11月12日)〕。
2005年4月、後十字靭帯損傷によって離脱〔 FC東京 (2005年4月14日)〕。古傷の右足首痛も続いていたが〔 東京中日スポーツ (2005年2月25日)〕、シーズン半ばに復帰。故障者の相次ぐ守備陣にあって〔ダービーをどう戦う!? 徹底戦力分析!! J's GOAL〕、自身の出場した終盤12試合は無敗で乗り切り〔選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日)〕チームを支えた〔 東京中日スポーツ (2005年11月2日)〕。2006年のJ1第19節対福岡戦にて、J1リーグ7年目にして初ゴールを挙げた〔J1:第19節 F東京 vs 福岡 レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年8月24日)〕。2007年からはチーム最年長選手となったが、インターセプトは健在で〔 東京中日スポーツ (2007年6月10日)〕同年のレギュラーを確保し、公式戦42試合出場を記録。
2009年半ばからはベンチ入りメンバーから外れることも多くなり、同年10月にFC東京から選手としての契約非更新〔 FC東京 (2009年10月21日)〕とクラブ内でのコーチ転身の打診を受けたが、「身体が動くうちは現役選手でいたい〔 スポーツ報知 (2009年10月22日)〕」「指導者として一つのチームしか知らないのはマイナス〔365日FC東京 藤山 今季限りで退団「ボロボロになるまで現役続行」 東京中日スポーツ (2009年10月22日)〕」と即座に現役続行及びFC東京退団を決断。同年11月のナビスコカップ決勝では出番を得られず、ベンチからチームの優勝を見届けた〔米本、平山ら新世代が導いた再戴冠 東京ガス戦士の思いを胸に スポーツナビ (2009年11月4日)〕。表彰式ではキャプテンマークを託され、東京ガス時代からの盟友浅利悟のユニフォームを着用して降壇した〔【ヤマザキナビスコカップ:決勝 F東京 vs 川崎F】試合終了後の藤山竜仁選手(F東京)コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2009年11月3日)〕。退団セレモニーにて、来季コンサドーレ札幌に所属する旨を表明〔 スポーツニッポン (2009年11月29日)〕〔フォトニュース J1:第33節 FC東京 vs 神戸 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2009年11月28日)〕。
2010年はJ2札幌でプレー〔 FC東京 (2009年11月29日)〕〔藤山 竜仁 選手 コンサドーレ札幌に完全移籍 コンサドーレ札幌 (2009年11月29日)〕。全力で練習に取り組む姿勢は札幌でも変わらず〔 北海道新聞 (2010年1月29日)〕〔札幌37歳DF藤山3戦ぶり先発狙う 日刊スポーツ (2010年11月16日)〕、石崎信弘監督からは「(空中戦で)相手より先に身体を入れたり、身体を上手く当てたりという駆け引きが凄くうまい」と評価され〔「J画自賛」 週刊サッカーダイジェスト1083号 p.47〕CBあるいは右SBとして重用された〔 東京中日スポーツ (2010年11月6日)〕。同年4月のJ2第9節甲府戦で公式戦500試合出場を記録〔公式戦500戦目札幌DF藤山が闘魂注入 日刊スポーツ (2010年4月29日)〕。鋭い読みと相手を巧みに抑え込むマークで守備陣を支え〔 北海道新聞 (2010年11月6日)〕、チームメートの岩沼俊介からも「高さがない自分のお手本」〔 北海道新聞、2010.11.07〕と信頼を寄せられていたが、1年限りでの退団が発表された。
2010年をもって現役を引退し、2011年からFC東京普及部コーチに就任した〔コンサドーレ札幌 藤山竜仁 選手 現役引退および FC東京 サッカースクール コーチ 就任のお知らせ コンサドーレ札幌 (2011年1月23日)〕〔藤山竜仁選手 FC東京普及部コーチ就任のお知らせ FC東京 (2011年1月23日)〕。同年JFA公認B級コーチ養成講習会を受講し〔日本サッカー協会 2011.05.12〕翌2012年にライセンス取得〔日本サッカー協会 2012.04.12〕。2015年、A級ジェネラルライセンス取得〔 日本サッカー協会 (2015年4月9日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤山竜仁」の詳細全文を読む




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