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藤山 竹一(ふじやま たけいち、1885年(明治18年)12月〔『新編日本の歴代知事』1067頁。〕 - 1930年(昭和5年)2月12日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1083頁。〕)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選県知事。 ==経歴== 佐賀県出身。大地主・藤山ミスの三男として生まれた〔。第五高等学校を卒業。1910年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し富山県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』196頁。〕。 1911年4月、富山県試補となる。以後、同事務官補、同教育課長、同警視・警察部警務課長、和歌山県理事官・学務課長、同視学官などを経て、1918年1月、福島県警察部長に就任。1919年6月に休職。1920年9月、長崎県警察部長となる。その後、福岡県警察部長を経て山口県内務部長に転任〔。 1927年5月、大分県知事に就任。政友会色の強い県政運営を行い、農山漁村の振興、道路網の整備に力を注いだ〔。1928年6月、栃木県知事に転任。前任地とは異なり、公平な県政を行うことを表明したが、県会での政友会、民政党の勢力争いにより、1929年、栃木県選出の民政党所属帝国議会議員が、「知事に対する誹謗質問書」を議会に提出した事件が起こった〔『新編日本の歴代知事』270頁。〕。同年7月、休職〔『官報』第755号、昭和4年7月6日。〕となり、同年に退官した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤山竹一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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