|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 山陽 : [さんよう] 【名詞】 1. south side of a mountain 2. Sanyo district ・ 陽 : [よう] 1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1 ・ 陽子 : [ようし] 【名詞】 1. proton ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
藤山 陽子(ふじやま ようこ、1941年12月17日 - )は、日本の映画女優。東宝専属で1960年代に活躍した。神奈川県横浜市金沢区金沢八景出身。身長161cm〔週刊平凡 平凡社 1962年3月号 73頁。〕。愛称はおふじ。 == 来歴・人物 == 横浜市本牧間門に生まれ、戦時中は平塚市へ疎開、終戦後は間門へ戻り、元町小学校4年生の時に金沢八景へ引っ越す。1957年、六浦中学校を卒業、1959年、女学校である私立明倫高等学校(現・横浜清風高等学校)3年生の春、陽子を含め修学旅行に参加しない残留組は平常通り授業があり、そんなある日の通学途中「ぶしつけに失礼ですが、チヨッとお話ししたいことがあるのです」と声を掛けてきた作曲家の木下忠司に「テレビの音楽を担当しているんだけど、テレビに出たくはありませんか?」と誘われる、やがて木下は陽子の両親に主旨を告げ、間もなく実兄である映画監督の木下恵介を紹介、彼は陽子に「テレビもいいけど、映画に出てみないか?」と話す、この言葉で心を動かされた陽子に父は「木下恵介先生に一切をお任せして、お前に出来ることならやってみてはどうなんだい!!」と促す、さっそく夏休みを利用し「今日もまたかくてありなん」で映画初出演、明けて1960年1月の冬休みに同じく木下恵介作品「春の夢」に出演、卒業後に出演したNETの「新三等重役」がきっかけで東宝ニュータレントに応募〔以上は近代映画 近代映画社 1962年8月号 122-125頁。〕、応募総数1万5千人の中で只1人全審査員の満票を以って合格、翌1961年4月に東宝俳優養成所を卒業、5月1日付で東宝へ入社、〔以上は小説倶楽部 桃園書房 1961年10月号 巻頭ポートレイト。〕。こうして東宝ニュー・タレント1期生となった陽子は〔同期に桜井浩子がいて引退後も親しい仲である。子どもに一時期、桜井浩子のことを「怪獣のおばちゃん」と呼ばせていた。〕同年夏に加山雄三主演の『大学の若大将』で銀幕デビュー、東宝は司葉子に続く都会派で上品な美貌の正統派女優として「魅惑の新星」と名づけ大々的に売り出した。目鼻立ちがはっきりした高貴でノーブルな風貌の美人で、清純な令嬢役やBG(現在のOL)役が多く『銀座の若大将』など若大将シリーズ、クレージーキャッツ映画、社長シリーズなど東宝の娯楽映画に数多く出演。映画では特に際立った代表作がなかったものの、テレビではマドンナの女教師、生徒の姉役として夏木陽介主演の『青春とはなんだ』、続編である竜雷太主演の『これが青春だ』日本テレビで放映された青春学園シリーズに出演したことで新境地を開拓しお茶の間の人気を得た。この『青春とはなんだ』の映画版である『これが青春だ!』、『でっかい太陽』、『燃えろ!太陽』の一連作にも夏木と共に出演している。1967年、結婚を機に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤山陽子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|