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藤岡 作太郎(ふじおか さくたろう、明治3年7月19日(1870年8月15日) - 明治43年(1910年)2月3日)は、日本の国文学者。 == 人物 == 加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。号は東圃・李花亭・枇杷園。1890年に第四高等中学校を卒業。ここでの同窓生に西田幾多郎、鈴木大拙(貞太郎)がおり、藤岡とあわせて「加賀の三太郎」と称される。東京帝国大学国文科卒業、第三高等学校教授ののち、1900年東京帝国大学助教授となり、芳賀矢一の洋行の後の担当となる。日本文学史を全体にわたって講義し、『国文学全史』の執筆にかかるが、平安朝篇のみ完成したところで病に倒れ、心臓麻痺のため〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)258頁〕41歳で死去。没後その遺稿が刊行され、『国文学全史平安朝篇』は今も読み継がれる古典である。 長女の綾は、1927年に雪の結晶の研究で知られる物理学者・中谷宇吉郎と結婚したが、翌1928年にジフテリアで死去している。長男の藤岡由夫は原子物理学者、孫の藤岡知夫はレーザー工学者、曾孫の藤岡幸夫は指揮者。次男の藤岡通夫は、建築史家。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤岡作太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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