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藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月19日〔『新編日本の歴代知事』706頁。〕 - 1965年(昭和40年)2月21日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1070頁。〕)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 ==経歴== 奈良県出身。藤岡長二郎の三男として生まれる〔。第三高等学校を卒業。 1920年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』228頁。〕。 以後、警視庁警視、広島県書記官・学務部長〔『官報』第1103号、昭和5年9月1日。〕、鹿児島県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、東京府総務部長、警視庁警務部長などを歴任〔。 1938年2月、香川県知事に就任。1939年7月の大干ばつに際して、県下の神社で雨ごい祈願祭を行う。また、1940年2月に実現した高松市第4次合併を推進〔『新編日本の歴代知事』904頁。〕。1940年4月、内務省計画局長に転じ、さらに同防空局長となる〔。1942年1月、静岡県知事に就任。戦時下の対応に尽力〔『新編日本の歴代知事』574頁。〕。1943年7月、東京都交通局長に転任。1945年1月、兵庫県知事に就任。同年4月に知事を辞任し退官した〔。その後、公職追放となった〔。 1946年、弁護士を登録。1960年、警察大学校名誉教授となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤岡長敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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