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藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月28日)は、日本の小説家、評論家。ポール・ボネ名義の著作も多数刊行。 == 経歴 == * 日本銀行監事藤島敏男・孝子夫妻の長男として東京府東京市に生まれる〔『昭和人名辞典 第1巻 東京編』、856頁。〕。生母・孝子の死後、継母・紀子(父・敏男の後妻)に育てられる。 * 初等科から大学まで学習院に学ぶ。今上天皇の学友の一人で、共にエリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング夫人)の教育を受けている。ただ大学卒業後、今上天皇とは疎遠であったという。 * 1955年(昭和30年)、学習院大学政経学部卒業後、東京新聞に入社。社会部記者となる。 * 1956年(昭和31年)、学習院高等科時代の今上天皇(当時は皇太子)と「ご学友」達を題材にした小説『孤獨の人』で作家デビュー。同作には「ご学友」達のヴァイニング夫人への反発や知られざるエピソードなどが盛り込まれている。三島由紀夫が序文を寄せ、「うますぎて心配なほど」と評価している〔三島 1975a〕〔三島 1975b〕。同作は映画化もされ話題となった。 * 1963年(昭和39年)、高浜虚子の孫娘・朋子と結婚〔『週刊新潮』1974年(昭和49年)9月5日号『結婚』〕〔『週刊新潮』1997年(平成9年)7月10日号『墓碑銘』〕。結婚当時は朋子と円満に暮らしていたが〔〔、その後メリー喜多川と内縁関係となる〔〔。 * 1966年(昭和41年)、メリーとの間に長女・藤島ジュリー景子誕生〔〔。 * その後東京新聞を退社し、作家専業となる。フランス・パリでの生活体験を元に「在日フランス人」ポール・ボネ名義で著した『不思議の国ニッポン』シリーズ、海外生活を題材にしたエッセイ・旅行記など多数の著作を発表。 * また社会評論家としても活動した。評論家としては大宅壮一の門下生である。右派・保守系の論陣を張り、『文藝春秋』や『諸君!』などに論考を寄稿。左派・リベラル系が多かった大宅門下の評論家グループの中では異色の存在であった。 * 1970年(昭和45年)、エベレスト・スキー隊総本部長としてヒマラヤ山脈遠征。 * 1971年(昭和46年)、内妻・長女とともにアメリカ・フロリダ州に移住し、アメリカ生活を体験。 * 1972年(昭和47年)、朋子と正式に離婚〔〔。その後メリーと正式に再婚〔。 * 1973年(昭和48年)、日本に帰国。 * 1974年(昭和49年)、日本ペンクラブを代表する形で仏文学者白井浩司と韓国を訪問、朴正煕独裁政権下で行われた詩人金芝河への死刑判決を「金芝河の有罪は文学活動ではなく、政治活動によるもの」とコメント。ペンクラブからは有吉佐和子・司馬遼太郎・立原正秋などが脱会、理事だった安岡章太郎や阿川弘之が辞意を表明するなど、運営に大きな混乱を起こした。 * 1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区に立候補。新日本宗教団体連合会関連諸団体の推薦を取り付けるなどして188387票を獲得。法定得票数に達したが66位で落選した。 * 1981年(昭和56年)、景子のアメリカ留学に同行し、アメリカで生活。 * 1992年(平成4年)、今上天皇の中国訪問に反対する小田村四郎・大原康男・小堀桂一郎・中村粲らによる「ご訪中問題懇話会」が組織されると、谷沢永一・古山高麗雄らとともに賛同。訪中反対の意見広告に名を連ねる。 * 1996年(平成8年)、ガン告知を受ける。 * 1997年(平成9年)、都内の病院で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤島泰輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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