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藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は、熊本県熊本市中央区にある神社である。旧社格は国幣小社。熊本市域の総鎮守として信仰を集める。 応神天皇を主祭神とし、神功皇后・住吉三神を相殿に祀る。 社名は「幡」ではなく「旛」と書く。これは天文11年(1548年)の後奈良天皇宸筆の勅額に基づくものである。 ==歴史== 承平5年(935年)、敕願により藤原純友の乱の追討と九州鎮護のために、国府の所在地であった宮崎庄の茶臼山に石清水八幡宮から勧請を受けて創建された。〔石清水八幡宮の祭神とは中御前 - 誉田別命(ほんだわけのみこと・第15代応神天皇) 西御前 - 比咩大神(ひめおおかみ・宗像三女神) 東御前 - 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)と一部異なっている。また、鈴木喬は当時の勢力や付随する社寺などにより宇佐八幡宮から分霊されたと考えている〕九州の石清水五所別宮の一社である。鎮座のとき、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽を吹き枝葉が生えたので、「藤崎」を社名としたという伝承がある。国府八幡宮として国司や朝廷の崇敬を受けた。鎌倉時代以降は歴代領主の崇敬を受け、江戸時代には熊本城の鎮守社とされた。 明治10年(1877年)、西南戦争で社殿を焼失し、現社地に移転して復興した。大正4年(1915年)国幣小社に列格した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤崎八旛宮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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