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藤川 三之祐(ふじかわ さんのすけ〔キネマ旬報社、p.502-503.〕、1889年3月22日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔〔''藤川三之助''、日本映画データベース、2012年11月22日閲覧。〕〔''藤川三之祐''、日活データベース、2012年11月22日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1889年(明治22年)3月22日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれる〔。1912年 - 1922年の間に、浅草近くの日活向島撮影所の新派俳優「藤川 三之助」(本名・平田三彌)が活躍していたが、この人物は日活を退社しており、まったくの別人である〔。 映画界に入る前は、舞台で活動をしていたといい、芹川政一の東京シネマ商会等の東京の映画商社で、宣伝映画に出演していたこともあるという〔。 1933年(昭和8年)の終わり、日活太秦撮影所に入社、伊藤大輔監督の正月映画『女人曼陀羅 第一篇』、同じく正月第2弾『女人曼陀羅 第二篇』に車善七役で出演して、満44歳で映画界にデビューした〔〔。 1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、藤川は同社に継続入社する〔〔。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)5月13日に公開された、伊藤大輔監督の『二刀流開眼』にクレジットされた満54歳以降の出演記録はなく、消息は不明である〔〔。1979年(昭和54年)に発行された『日本映画俳優全集・男優編』によれば、同誌執筆の時点ではすでに死去しているとされている〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤川三之祐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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