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藤川敬六 : ミニ英和和英辞書
藤川敬六[ふじかわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ろく]
  1. (num) six 

藤川敬六 ( リダイレクト:藤川為親 ) : ウィキペディア日本語版
藤川為親[ふじかわ ためちか]
藤川 為親(ふじかわ ためちか、1836年天保7年) - 1885年明治18年)8月27日〔『明治過去帳』新訂初版、209頁。〕)は、幕末佐賀藩士、明治期の内務官僚県令。通称・敬六。
==経歴==
佐賀藩士・藤川広次の二男として生まれる。幼くして父を亡くした。その後、藩の学校会計吏、監察兼軍艦会計吏を務めた。戊辰戦争では東上する藩兵の隊長として従軍〔『明治百傑伝』259-262頁。〕。
慶応4年(1868年8月下野国真岡判県事に就任。明治2年(1869年7月日光県大参事となる。その後、新川県権参事、栃木県参事、兼宇都宮県参事を歴任し、1877年1月、栃木県大書記官に就任〔〔『栃木県歴史人物事典』517頁。〕。
1880年10月、前任の鍋島幹の推薦で栃木県令に就任。自由民権運動が盛んとなる中、全国に先駆けて戸長公選を廃止した。一方、県会と対立があっても原案執行を行わず「平和主義の男」と呼ばれた。1880年足尾銅山の鉱毒被害が表面化し、「渡良瀬川の魚族は衛生に害あるにより一切捕獲することを禁ず」との達しを出した〔〔『新編日本の歴代知事』260頁。〕。
1883年10月、島根県令に転任。道路改修事業の推進に尽力したが、在任中に病で死去した〔〔『新編日本の歴代知事』779頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤川為親」の詳細全文を読む




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