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藤木九三(ふじき くぞう、1887年(明治20年)9月30日 - 1970年(昭和45年)12月11日)は、日本の登山家であり、ロック・クライミング・クラブの創設者である。 == 経歴 == 京都府福知山市の生まれ。京都三中(現 京都府立福知山高等学校)を卒業し、早稲田大学文学部の英文学科に入学するも中退、1909年に東京毎日新聞社に入社した。1909年に、やまと新聞に移籍し、1915年には、朝日新聞社に移る。1916年に、特派員として東久邇宮の槍ヶ岳登山に随行する。1919年、神戸支局長となる。西宮市甲子園に住み、六甲山の岩場をロック・ガーデンと命名する。 1928年には、日本初のロック・クライミングを目的とした山岳会であるRCC同人を、水野祥太郎や西岡一雄とともに発足させる。1929年、やはり日本初の岩登りの理論書である『岩登り術』を刊行するとともに、8月には、案内人の松井憲三とともに、北穂高岳滝谷の初登攀に成功した。 1930年5月、日本を離れ、パリに滞在。6月から9月の間に、モンブラン・マッターホルンなどの岩場を登攀した。1932年に、樺太の突岨山を登攀した。1935年、京都大学山岳部の白頭山への冬季遠征に記者として参加した。1936年には、1月に石鎚山の冬季初登を成し遂げた。 1959年、日本山岳会顧問。第2次RCCの創設時には奥山章に請われて顧問に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤木九三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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