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藤木 てるみ(ふじき てるみ、1934年〈昭和9年〉12月11日 - )は、日本の漫画家。男性。かつては本名の 藤木 輝美(ふじき てるみ)や「ふじき てるみ」名義で活動していた。ヘビースモーカーである。 == 人物 == 滋賀県犬上郡(現在は彦根市域)の出身で、先祖は彦根藩の藩士。 石山合戦は一向門徒衆と織田信長軍の闘いであるが、東本願寺出版部より出版された藤木が描いた漫画版『石山軍記』は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながらの迫力の戦闘シーンが活写されている。また 「歎異抄十余ヶ国上洛のナゾを検証する」(2002年7月「大法輪」大法輪閣)という論文も執筆している。 少年時代にはディズニーアニメや手塚治虫の影響を受けて漫画家をめざすようになった。小・中学校の同級生に、田原総一朗がいる。県立短大附属工業高校に入学し、理工学を専攻した〔当時は学制がアメリカの影響を受け、彦根高等学校の1つの中に、東校舎(普通専攻)、西校舎(商業専攻)、南校舎(理工専攻)と専攻別に分かれた総合高校の形式であった。しかし学制は頻繁に変更されたため、なぜか卒業時の校名は滋賀県立短期大学附属工業高等学校と名称が変わっている。〕。 高校を卒業後、1954年(昭和29年)に上京し、貸本漫画からデビューした。同期は横山光輝ら。 以降は『おもしろブック』『りぼん』(集英社)や『少年』(光文社)、『痛快ブック』と『野球少年』(芳文社) など、複数の雑誌で作品を発表した。昭和の30年代から40年代前半は、集英社からの作品の発表が殆どである。当時の藤木の絵柄は手塚の影響があったが、次第に独自の絵柄に変貌した。1970年(昭和45年)前後になると、『ひみつシリーズ』や『伝記シリーズ』(学研)で学習漫画や歴史漫画を描くようになった。 藤木の描くギャグ漫画のユーモアセンスは、「ほんわか」と、しかしながら「鋭く」もあり、ユニバーサルであり、かつ「時代を先取り」したものが多い。その一方、少女漫画も描いている。「さよならパディ」は、花の精パディと画家タローとの愛、心の鏡を描く作品である。神が現れ、音楽が流れ天使が舞い、花が咲き誇るシーンがあり、愛をテーマに、古都を舞台にした心に残るエバーグリーンな美しい物語として描かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤木てるみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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