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藤本 俊(ふじもと しゅん、1950年5月11日 - )は、元体操競技選手、山梨大学教授。1976年モントリオールオリンピック体操男子団体金メダリスト。 ==略歴== 広島県出身〔『スポーツ大百科/日本体育協会監修』 スポーツ大百科刊行会 1982年 743頁〕。1973年(昭和48年)3月、日本体育大学卒業。同年、紀陽銀行に入社 その後山梨大学教育学部助手 現在山梨大学教育学部教授。 1976年(昭和51年)のモントリオール五輪で、藤本はゆかでひざの半月板を痛めたが、藤本の状態を心配することでコーチやチームメートのソビエト連邦との金メダル争いに対する集中力が欠けることを心配してそれを黙っていた〔The Joy of Six: great Olympians ガーディアン 2008年8月7日〕。続くあん馬で9.5、つり輪でも2.5mほどの高さからの着地も決めて9.7の高得点をマーク。しかし、つり輪の演技終了後、ついに演技続行は不可能となった。日本チームは背水の陣を余儀なくされたが、藤本のあげた高得点もあり、日本はソビエト連邦を0.4点という僅差で退けて金メダルを獲得した。数年後、藤本はもう一度同じことができるか聞かれたが二度とできないだろうと答えている〔Fujimoto caps Japanese success BBC 2000年9月29日〕。 後日、右膝にひびが入っていることが判明した〔1976年7月22日 読売新聞「藤本、右ヒザにヒビ」〕。藤本は、カナダオリンピック委員会から、「勇敢選手賞」を与えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤本俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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