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藤本 哲也(ふじもと てつや〔「哲哉」が本名、指導教授のポール・タカギの間違いを発端として「哲也」を使い続けている。〕、1940年12月18日 - )は、愛媛県出身の法学者。専門は犯罪学・刑事政策・被害者学。アメリカで日本人で初めて犯罪学の博士号を取得した(カリフォルニア大学バークレー校でトニー・プラット及びポール・タカギ教授に師事)。法務省・性犯罪者処遇プログラム研究会構成員。PFI刑務所に関しても政府委員を務めた。 == 人物 == 中央大学法学部名誉教授。他に学会、法務省などで多くの役職を持つ。日本刑事政策研究会理事を務める。アメリカに詳しい日本人初の犯罪学博士として知られている。2000年まで司法試験考査委員を務めていた。また、共謀罪について、政府側証人として国会で主張したこともある。平野龍一・団藤重光との親交が深い。弟子として、宮園久栄、伊藤康一郎、漆畑貴久、尾田真言(NPO法人APARI事務局長)千手正治などがいる。ゼミ出身者としては、石塚伸一龍谷大学教授がいる。三女の父。趣味は三味線・俳句。 一年に一冊の著書を出版することを目標としており、その書数は40冊近くにのぼる。これは犯罪学の研究が遅れている日本が欧米に追いつくためにはそれくらいの努力が必要であろうとの気概から立てた目標である。 論文も学術論文のみで700本以上書いており、単純計算すると2週間に1本書いたことになる上、一度たりとも締切を破ったことがない。〔中央大学 藤本哲也先生・最終講義「犯罪学と私」2011年1月17日〕 中央大学大学院時代における指導教授は、市川秀雄教授に師事(その後、八木國之教授に師事)。学生時代に牧野刑法学の影響を受ける。 中央大学非常勤講師時代に、宮澤浩一慶應義塾大学教授(当時)と共著をだし、一躍学会で注目を浴びる。その後、ドイツの刑事政策は慶應義塾大学(宮澤浩一、加藤久雄。太田達也はアジアも)、アメリカの刑事政策・犯罪学は中央大学、イギリスの刑事政策は同志社大学(大谷實、瀬川晃)という流れで研究が進んでいった。なお、犯罪学原論は、日本初の犯罪学に関する本格的体系書といえる。 フロリダ州立大学時代には、犯罪心理学を学んだが、現在では、それを専門としていない(以前、中央大学文学部で講義をもっていた)。その後、カリフォルニア大学バークレー校では犯罪社会学を中心に学んだ。バークレーではラディカル・クリミノロジーの影響を受け、帰国後は反国家的な主張が多かった。しかし、政府委員等を務めるにつれ、法務省寄りの主張が多くなった。 2010年12月18日に古稀を迎えたため2011年3月をもって中央大学法学部教授を退職することとなり、2011年1月17日に最終講義「犯罪学と私」が行われた。 退職後は中央大学名誉教授に。2011年より常磐大学大学院被害者学研究科教授および国際被害者学研究所教授を併任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤本哲也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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