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藤本四八 : ミニ英和和英辞書
藤本四八[ふじもと しはち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
藤本 : [ふじもと, とうほん]
 【名詞】 1. climbing trees 2. liana 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [よん]
  1. (num) four 
: [やつ]
 (num) eight

藤本四八 : ウィキペディア日本語版
藤本四八[ふじもと しはち]

藤本 四八(ふじもと しはち、1911年明治44年)7月25日 - 2006年8月19日)は、日本の写真家。古美術を撮影した写真作品で知られる。兄は美術雑誌・美術本編集者の藤本韶三
== 略歴 ==

*1911年明治44年)7月25日 - 長野県下伊那郡松尾村(現飯田市)に生まれる。
*1927年(昭和2年) - 旧制飯田商業学校(現在の長野県飯田長姫高等学校)を中退し家業を手伝いながら画家を志す。
*1931年(昭和6年) - 上京し、金丸重嶺の金鈴社フォトスタジオに入社。
*1934年 - 日本デザイン社に転職。
*1937年(昭和12年) - 名取洋之助が主催する日本工房に入り、『NIPPON』誌上で土門拳らと共に活動する。
*1938年(昭和13年) - 土門拳、濱谷浩光墨弘田村茂林忠彦加藤恭平 (写真家)杉山吉良らと「青年報道写真研究会」を結成
*1939年(昭和14年) - 従軍カメラマンとなり、中国戦線、フィリピンインドシナを転戦したのち1940年(昭和15年)に帰国。国際報道工芸株式会社(日本工房の後身)の写真部長となる。
*1941年(昭和16年) - 兄の韶三、美術史家・美術評論家の北川桃雄と共に唐招提寺薬師寺に赴き仏像や建築を撮影した。戦火による万が一の焼失を考えたという。これらの写真は戦時中の1944年(昭和19年)には「仏像写真展」として発表。1945年(昭和20年)に美術出版社から出版された。
*1945年(昭和20年) - 『週刊サンニュース』を経て、1949年(昭和24年)からフリーとなる。
*1964年(昭和39年) - 『装飾古墳』を平凡社から出版。
*1967年 - 日本リアリズム写真集団副理事長。
*1972年(昭和47年) - 『日本の塔』を学習研究社から出版。
*1988年 - 日本リアリズム写真集団理事長。1989年には同集団顧問。
*1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで日本写真家協会会長を務めた。この間、写真の著作権保護期間を文学音楽と同様の著作者死後50年に拡張を求める運動を展開した〔1996年(平成8年)の著作権法改正により「写真の公表後50年」から「著作者の死後50年」に改正された。〕。また協会の法人化の議論を進めた。
*1995年 - 自身の全作品を飯田市美術博物館に寄贈。
*1997年 - 飯田市が飯田市藤本四八写真文化賞を創設。
*2006年8月19日 - 脳出血のため北海道小樽市の病院で死去。享年95。晩年は同市で過ごしていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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