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藤村作 : ミニ英和和英辞書
藤村作[ふじむら つくる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 

藤村作 : ウィキペディア日本語版
藤村作[ふじむら つくる]

藤村 作(ふじむら つくる、1875年〈明治8年〉5月6日 - 1953年〈昭和28年〉12月1日)は、福岡県柳川出身の国文学者東京帝国大学名誉教授。
橘蔭学館(のちの福岡県立伝習館高等学校)、第五高等学校を経て、1901年に東京大学国文学科卒業、第七高等学校造士館教授、1903年広島高等師範学校教授、1910年東京帝大国文科助教授、1922年教授。1919年「近世小説の研究」で文学博士。1934年東洋大学学長を兼任し、1936年東大を定年、名誉教授、1937年東洋大学長をやめ、1938年同大を辞任。1940年より北京師範学院などで教える。井原西鶴などを研究した。1924年雑誌『国語と国文学』を創刊。戦後1946年日本文学協会を創立し初代会長。関東女子専門学校名誉学長、二松学舎大学教授、大正大学教授。
1927年(昭和2年)「中等学校での英語科廃止の急務」の論文を発表し、以後の対米関係を反映した英語排斥の風潮の流れを作った。
各地学校の校歌に詞を提供。作詞者近藤宮子は長女で、近藤忠義は婿。次男は俳人の赤城さかえ、三女の夫は国文学者荻原浅男
==著書==

*『上方文学と江戸文学』 至文堂(1922年)
*『国文学史総説』 中興館, 1926, のち角川文庫
*『近世国文学序説』雄山閣(1927年)
*『本居宣長』 楽浪書院, 1936
*『日本文学と日本精神』 新更会刊行部, 1936
*『日本文学原論』 同文書院, 1937(実は近藤忠義の著)
*『日本文学と女性』 社会教育協会, 1937
*『常道を行くもの』 むらさき出版部, 1939
*『国語問題と英語科問題』 白水社, 1940
*『ある国文学者の生涯』 八恩記, 角川新書, 1956

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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