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藤村 作(ふじむら つくる、1875年〈明治8年〉5月6日 - 1953年〈昭和28年〉12月1日)は、福岡県柳川出身の国文学者、東京帝国大学名誉教授。 橘蔭学館(のちの福岡県立伝習館高等学校)、第五高等学校を経て、1901年に東京大学国文学科卒業、第七高等学校造士館教授、1903年広島高等師範学校教授、1910年東京帝大国文科助教授、1922年教授。1919年「近世小説の研究」で文学博士。1934年東洋大学学長を兼任し、1936年東大を定年、名誉教授、1937年東洋大学長をやめ、1938年同大を辞任。1940年より北京師範学院などで教える。井原西鶴などを研究した。1924年雑誌『国語と国文学』を創刊。戦後1946年日本文学協会を創立し初代会長。関東女子専門学校名誉学長、二松学舎大学教授、大正大学教授。 1927年(昭和2年)「中等学校での英語科廃止の急務」の論文を発表し、以後の対米関係を反映した英語排斥の風潮の流れを作った。 各地学校の校歌に詞を提供。作詞者近藤宮子は長女で、近藤忠義は婿。次男は俳人の赤城さかえ、三女の夫は国文学者荻原浅男。 ==著書== *『上方文学と江戸文学』 至文堂(1922年) *『国文学史総説』 中興館, 1926, のち角川文庫 *『近世国文学序説』雄山閣(1927年) *『本居宣長』 楽浪書院, 1936 *『日本文学と日本精神』 新更会刊行部, 1936 *『日本文学原論』 同文書院, 1937(実は近藤忠義の著) *『日本文学と女性』 社会教育協会, 1937 *『常道を行くもの』 むらさき出版部, 1939 *『国語問題と英語科問題』 白水社, 1940 *『ある国文学者の生涯』 八恩記, 角川新書, 1956 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤村作」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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