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藤村 多加夫(ふじむら たかお、1925年(大正14年)11月10日 - 2011年(平成23年)1月13日)は、日本の俳人。本名、菅野 謙三(かんの けんぞう)。出生時の名は英輔。"謙三"は停(父)の後の名で、後に藤村が襲名した。 父・停(さだむ)、母・セツの長男として福島県福島市に生まれる。実家の茶業に携わる傍ら、加藤楸邨に師事し俳句を学ぶ。現代俳句協会選者。また福島県俳句作家懇話会会長、福島県現代俳句協会会長、福島県現代俳句協会顧問、福島県俳句作家懇話会顧問を務めた。 1951年(昭和26年)、金子兜太が藤村の持家に住み、兜太は「波郷と楸邨」を「俳句研究」に書いた。大学卒業後、日本銀行に勤務しながら句作に励んだ。1959年に県現代俳句連盟、1974年に県俳句作家懇話会(現県俳句連盟)を設立。どちらも会長を務め、俳句教室でも指導するなどして本県俳壇の結束と発展、普及に貢献した。その傍ら家業を継ぎ、また調停員として簡易裁判所、家庭裁判所を歴任した。 2011年1月13日、気管支ぜんそくによる呼吸困難により死去。本人の希望により福島県立医科大学へ献体され、葬儀のかわりに親族によりお別れ会が催された。 2012年9月、遺族の元へ遺骨が返還され、福島市内の信夫山墓地へ埋葬された。 == 講義 == FTVカルチャーセンター俳句教室、生協俳句教室で俳句を受講できた。地方紙福島民報選者。民報経由での俳句指導を受けている者もいた。(社会保険センターがFTV・・・に改名) 福島民報出版文化賞選者のひとり。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤村多加夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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