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藤村紫朗 : ミニ英和和英辞書
藤村紫朗[ふじむら しろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [むらさき]
 【名詞】 1. (1) purple colour 2. purple color 3. violet 4. (2) type of soy sauce 

藤村紫朗 : ウィキペディア日本語版
藤村紫朗[ふじむら しろう]

藤村 紫朗(ふじむら しろう、1845年4月7日(弘化2年3月1日)- 1908年明治41年)1月4日〔『山梨百科事典 創刊120周年記念版』813頁。〕)は、日本の官僚政治家。山梨県令、山梨県知事愛媛県知事貴族院勅選議員男爵
== 略歴 ==

=== 出生から山梨県令着任 ===
肥後国熊本寺原瀬戸坂袋町〔に熊本藩士である父「黒瀬市左衛門」、の二男として生まれ、安政5年(1858年)に同藩士である菅野太平の養子となり、名を嘉右衛門と改める〔。上京して尊皇攘夷運動に加わり、1863年(文久3年)の八月十八日の政変後に脱藩し、翌元治元年(1864年)の禁門の変では長州藩に加わって戦い、大和十津川郷士の紀州高野山挙兵にも参加している。
明治15年(1882年)12月23日付、太政官賞勲局あて履歴書〔「藤村紫朗履歴書」『山梨県史 資料編14 近現代1』山梨県編 平成8年(1996年)、80-83頁所載。〕による明治新政府への出仕後の履歴は次のとおりである。
慶応4年(1868年)2月12日御親兵会議所詰。同年3月14日、浪士取調のため軍防局に出仕。同年4月4日徴士内国事務局権判事となり三河国裁判所に在勤。同年6月16日軍務官へ出仕。同年8月29日、軍監。明治2年(1869年)3月1日監察司知事。同年8月20日、弾正少巡察。同年9月25日兵部省に出仕。同年11月3日監督司大佑。同年11月8日、兵部権少丞。明治3年(1870年)1月9日、兼京都府少参事。明治4年(1871年)11月26日大阪府参事

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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