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藤沢 幾之輔(ふじさわ いくのすけ〔『日本人名大事典 現代』、673頁。〕〔『コンサイス日本人名事典 第4版』、1123頁。〕、1859年3月20日(安政6年2月16日)〔 - 1940年(昭和15年)4月3日〔)は、明治、大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。衆議院議員、衆議院議長〔〔『コンサイス日本人名事典 第4版』、1124頁。〕、第1次若槻禮次郎内閣の商工大臣〔〔、貴族院議員を歴任した〔。号は成天〔〔。 == 来歴・人物 == 1859年3月20日(安政6年2月16日)陸奥国仙台(現・宮城県仙台市)に生まれる〔〔。明治維新後、宮城英語学校〔〔、茂松法学舎で学ぶ〔。1879年(明治12年)司法試験に合格し、弁護士を開業する〔〔。1889年(明治22年)仙台市会議員に当選し、政界入りする〔〔。その後仙台市会参事会員〔、仙台市会議長〔〔、宮城県会議員〔〔、宮城県会常置委員〔、宮城県会議長を経て〔〔、1892年(明治25年)衆議院議員総選挙に立候補し当選する〔〔。当選回数13回〔〔。 藤沢は立憲改進党系の政党に身を置き〔〔、憲政本党常議員〔〔、立憲同志会総務、憲政会総務〔〔、立憲民政党総務〔〔、衆議院予算委員長を歴任した。1915年(大正4年)逓信省・内務省各参政官に就任〔、1926年(大正15年)第1次若槻内閣の商工大臣として入閣する〔〔。1930年(昭和5年)衆議院議長に選出される〔〔。1931年(昭和6年)には貴族院議員に勅選され〔、1934年(昭和9年)枢密顧問官に勅選された〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤沢幾之輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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