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藤沢御殿(ふじさわごてん)は、相模国藤沢(現在の神奈川県藤沢市藤沢二丁目)にあった徳川将軍家の御殿(別荘)である。 御殿は、現在の藤沢公民館と藤沢市民病院の間にあった。 == 概要 == 藤沢宿が整備される前の慶長元年(1596年)、東海道を利用する際の休憩・宿泊施設として徳川家康が築いたと推定される〔『東海道と藤沢宿 東海道宿駅制度四〇〇年記念』1項〕〔藤沢が宿場になったのはいつ頃ですか? (東海道 Q & A ) - 東海道への誘い(国土交通省関東地方整備局 横浜国道事務所、2013年12月8日閲覧)〕。記録としては『慶長記』に徳川家康が慶長5年(1600年)に鎌倉遊覧のため訪れた記述があるのが最初で、秀忠、家光と寛永11年(1634年)まで28回利用されている〔平野雅道「江戸初期の藤沢宿と御殿について」『藤沢市史研究10号』藤沢市文書館、昭和52年(1977年)。〕。 資料〔『藤沢御殿絵図』堀内家文書、元禄10年(1697年)〕によると四方は水堀で囲まれ、内土塁と外土塁がめぐらされている東南の堀は幅6間、深さ2間半、南北の堀は幅5間、深さ2間半で、外土塁の外側は東西106間、南北62間で、内土塁の中は東西86間、南北36間の広さがあった。表御門は東海道に面した南側にあり、裏御門は東側にあった。表御門の西側には御殿番所、東側には代官陣屋が立ち並んでいた。。 2000年8月には藤沢御殿に関する考古学的な初めての調査が行われ西側の堀の遺構が確認された〔『東海道と藤沢宿 東海道宿駅制度四〇〇年記念』4項〕。相模国内には13箇所の御殿、御茶屋が資料に記載され、うち純然たる城郭構の将軍の恒常的な宿泊施設は4箇所を数える。これらは藤沢御殿のように水堀と土塁または石垣が巡る方形の城郭に準じて造営された(なお、同国内の御殿は元禄時代に全て消滅している)。 将軍による藤沢御殿の利用は寛永11年(1634年)が最後である〔。その後、江戸で発生した明暦の大火(1657年)に伴う江戸城再築のために建築物が取り払われた。天和2年(1682年)には跡地が検知され耕地となった〔。現在では、御殿橋、陣屋小路、陣屋橋が残るほか、藤沢市民病院付近には御殿辺などの地名が残っている〔『藤沢の地名』123項〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤沢御殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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