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藤田俊哉 : ミニ英和和英辞書
藤田俊哉[ふじた としや]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [や]
 (n) question mark

藤田俊哉 : ウィキペディア日本語版
藤田俊哉[ふじた としや]

藤田 俊哉(ふじた としや、1971年10月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー
10年に渡り日本代表にも選出。2001年にJリーグ最優秀選手賞を受賞。
== 来歴 ==

=== プロ入り ===
清水商業高校では、2年時に高校選手権優勝を経験。筑波大学を経て1994年、この年にJリーグへ昇格するジュビロ磐田に入団。1年目からレギュラーを獲得し、中山雅史名波浩らとともに、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝1回という磐田黄金時代を作り上げ、自身もJリーグベストイレブンに3度選出された。2001年にはJリーグMVPも受賞するなど、リーグではその能力を数々の実績で証明している。一方で日本代表においては、ファルカン加茂周トルシエジーコと歴代の監督により招集されたが、いずれの監督下でもレギュラーではなくサブとしての登用であった事から、当時はインタビューなどで「頂点を極めたなんて思ったことは一度もありません」と語っている。海外クラブに所属する選手を重用する傾向があったジーコ監督時代の2003年には、代表定着を狙うためにオランダFCユトレヒトに半年間の期限付き移籍。この時期は積極的に代表に呼ばれたが、やはりレギュラー定着はできなかった。ユトレヒトでは1ゴールを記録するなど上々の成績を残した。シーズン終了後には移籍期間延長の打診もあり、藤田自身もオランダでのプレーの続行を望んだが、ユトレヒトには完全移籍に移行する際の移籍金を支払う資金力が無く、加えて成績が下降傾向だった磐田からは移籍期限終了に伴う磐田への復帰を強く要請されたため、日本へ復帰した。
このような経緯で磐田に復帰したものの、2004年末より監督に就任した山本昌邦の方針で出場機会が激減。代表へのこだわりを持っていたことから、出場機会を求めて2005年のシーズン途中に名古屋グランパスエイトに移籍した。名古屋では足掛け4年にわたってチームの精神的支柱として活躍したが、2008年にはMF小川佳純の台頭もあり出場機会が減少。高年俸もネックとなりシーズン終了後に戦力外通告を受ける。
J1クラブも含めて複数のオファーの中から、最も熱心に誘われたJ2・ロアッソ熊本に移籍した。これはロアッソ熊本のスポンサーであった藤田株式会社の藤田勲社長が同じ藤田姓の縁で強く獲得を希望してのものだった。その際、藤田の獲得資金としてスポンサー料を倍額にしている。〔http://supportista.jp/2009/02/news17052850.html〕。
2009年シーズンは、51試合中50試合に出場、スタメンでの起用が多く4得点を挙げた。2010年は途中出場中心ながら20試合以上に出場し、2得点を挙げていたが、11月22日、藤田の意向により家庭の事情を理由〔藤田が熊本退団…オファーなければ引退も - スポーツニッポン2010年11月23日閲覧〕 にロアッソ熊本を退団する事が発表された〔藤田、退団へ 2季在籍 現役は続行の意向 - 熊本日日新聞2010年11月23日閲覧〕。なお、2010年度中に日本サッカー協会指導者ライセンスA級ジェネラルを取得している〔〕。
2011年シーズンより、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍するも〔藤田 俊哉 選手の加入について - ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト 2011年01月13日閲覧〕、同年限りで退団した〔契約満了選手について - ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト 2011年12月26日閲覧〕。
2012年1月12日の平成23年度日本サッカー協会(JFA)第9回理事会で、公認S級コーチ・ライセンス養成講習会受講者20名に認定された〔2012年度 平成23年度 第9回理事会 協議事項 (2012.01.12) 公認S級コーチ養成講習会 受講者の件-JFA公式HP2012年1月12日 〕。
2012年6月27日、自身の公式サイトから現役引退を表明した〔現役引退と新しい挑戦への決断! 2012年6月27日 藤田俊哉オフィシャルサイト〕。7月3日に引退会見を行い、「幸せなサッカー人生を送らせてもらったが、引退することを決めました。最後はいくつかのクラブからオファーをいただき悩みましたが、欧州クラブで監督をしたい気持ちがあった」などと語り、今後は8月からJFAの公認S級コーチ・ライセンス養成講習会に参加、後、オランダVVVフェンロ間で単年のコーチ契約を結び、2014年の夏から現地に於いて指導者としての道の第一歩を歩み始める。また、将来的には日本に戻って日本代表の監督などもやりたいとも話した〔元代表藤田「幸せなサッカー人生だった 2012年7月3日 日刊スポーツ〕。ジュビロ磐田アンバサダーに就任。
愛車は2001年Jリーグ最優秀選手副賞の賞品であったサーブ・9-3〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤田俊哉」の詳細全文を読む




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