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藤田敦史(ふじた あつし、1976年11月6日 - )は、福島県白河市(旧:西白河郡東村)出身の陸上競技元選手・現指導者。長距離走・マラソンが専門。清陵情報高等学校、駒澤大学経営学部卒業。世界陸上選手権セビリア大会6位入賞、およびエドモントン大会男子マラソン日本代表(12位)。男子マラソン前日本記録保持者。 == 来歴 == 駒澤大学時代は、4年連続箱根駅伝出場を果たし、当時順天堂大学のエース、三代直樹(富士通、箱根駅伝2区元区間記録保持者)、東海大学の諏訪利成(日清食品、アテネオリンピック男子マラソン6位入賞)らと名勝負を演じ、さらに4年生の時は第4区の区間記録を更新した。この記録は、それ自体が驚異的な新記録であるだけではなく、コースが改変されたので事実上不滅の記録といえる。箱根駅伝後の1999年3月には初マラソンのびわ湖毎日マラソンで瀬古利彦のもつ日本学生記録を20年ぶりに更新。経営学部では、山田勝ゼミナールに所属。 大学卒業後は富士通に入社。1999年8月の世界陸上セビリア大会男子マラソンでは6位入賞を果たすも、同男子マラソンで3位・銅メダルを獲得し翌2000年シドニーオリンピック男子マラソン内定となった佐藤信之には一歩届かなかった。2000年3月のびわ湖毎日マラソンにシドニー五輪代表選出へ再挑戦する予定だったが、故障により欠場。 再起をかけた2000年12月の福岡国際マラソンでは、3度目のマラソンで念願の初優勝〔第54回大会(福岡国際マラソン選手権)平成12年12月3日 福岡国際マラソン プレーバック〕。この際に「神様は確かに存在する。そして神様は奇跡を起こしてくれる。しかし神様は死ぬほど努力をしたものにしか力を貸してくれない。」という言葉を残している。その時の2時間06分51秒は当時の日本男子最高記録、並びに当時の福岡国際マラソン大会新記録だった(なおその2年後、2002年のシカゴマラソンで3位の高岡寿成が藤田の前記録より35秒塗り替え、2016年現在の日本男子最高記録を達成、7年後の2007年福岡国際マラソンで優勝のサムエル・ワンジルが、藤田の前記録より12秒更新)。この記録は2016年現在、国内のマラソン大会における日本人が出した最高記録である。2001年8月の世界陸上エドモントン大会男子マラソンでメダル獲得が期待されていたが、レース前坐骨神経痛のアクシデントにより力を発揮できず、12位に留まった。その後も足腰の怪我が長引いて満足に走る事が出来ず、オリンピックの男子マラソン日本代表入りは一度も果たせなかった。 2013年3月のびわ湖毎日マラソンに出場するも早々にリタイアとなってしまった。その後、2013年3月26日、所属先の富士通が4月21日の長野オリンピック記念 長野マラソンでラストランを表明。しかし長野マラソン本番は降雪と低温の悪条件からか、左ふくらはぎに痙攣を起こした為30Km過ぎで涙の途中棄権に終わった(男子優勝は公務員ランナーの川内優輝)。尚現役引退後は、富士通陸上競技部の長距離コーチに就任。 2015年4月からは富士通から駒澤大学に出向し、駒澤大学陸上競技部コーチに就任することが発表された。 ちなみにB'zが好きでライブに行ったりもしている。浜田省吾もよく聴いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤田敦史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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